1965年6月15日 「パンの冷温製造法」の特許申請

アンデルセングループ創業者 高木俊介(当時社長)は、より多くの人に「おいしい焼きたてのパン」を提供したいと希っていました。その研究は1957年より進めていました。1965年6月15日に「パンの冷温製造法」としての特許を出願し、1970年公告、1972年特許取得後、公開しました。

「パンの冷温製造法」とは、①パン生地を予備発酵し②次に低温発酵させ③成型生地を冷凍するもので、冷凍した生地を直接パン販売店や需要者に送り、送り先で望みの時間に焼くことによって焼きたてのパンが提供できるというものです。

冷凍パンシステムに込められた想いとは ~アンデルセン名誉マイスター 故 城田幸信の言葉より~
(当時パン屋は)寝る間も惜しんで働く、そんな過酷な仕事でした。さらにいくら頑張っておいしいパンを作っても、卸したお店に来られるお客様は1、2日前に作った袋入りのパンしか買えない。それをどうしたら解決できるかを誰よりも真剣に考えていらしたのが、創業者 高木俊介さんでした。
「欧米に最新の技術がある」「パンを冷凍できたら市場が変わる」「おいしいパンが全国のお客様に届く」「焼きたてのパンがいつでも店頭に並ぶ」「夜勤も、残業もなくなる」私たちは、何度も何度も、壮大な夢の話を聞きました。冷凍パンの開発は、創業者の思いを皆が胸に抱いての挑戦でした。


<冷凍パンシステムのあゆみ>
・1957年:冷凍機の研究を始める。
・1959年:比治山工場(創業の地)で2坪の冷凍冷蔵庫を作り、製品冷凍を研究。
・1963年:創業者 高木俊介がストックホルムで、冷凍パン生地に出会い、冷凍パン生地研究を本格的に開始。
・1965年:ペストリーを含む「パンの冷温製造法」(冷凍パン生地)特許申請。瀬野川工場(現在の広島工場)増築に伴い、生地冷凍法を製造技術として一部使用。その冷凍パン生地を使った商品を、一枚差しのオーブンで店頭焼成、テスト販売開始。
・1968年:城田幸信(当時アンデルセン生産課長)米国カントリーホーム社へ派遣。帰国後、耐冷凍性イースト、冷凍改良剤の開発。ペストリーをはじめ、アンパンなど全商品の冷凍パン製法に成功し、呉アンデルセンに冷凍パン導入。冷凍パンの冷凍流通の実験店舗として長崎アンデルセン開店。
・1969年:直売店 鷹の橋店(広島市)をベイクオフショップ「ペストリーショップ」に改装。 直売店の尾長店(広島市)が、「ペストリーショップ」 FC(フランチャイズチェーン)第1号として改装オープン。
・1970年:日本初の冷凍パン生地専用工場として千代田工場完成。
・1972年:フランチャイズチェーン「リトルマーメイド」展開開始。「パンの冷温製造法」(冷凍パン生地)の特許取得。市場の拡大普及とパン職人の労働環境改善を視野に特許公開。
・1974年:秦野工場完成。関東地区で本格的なFC展開開始。
・1986年:本格的な食事用冷凍パンの開発。
・1991年:千代田工場に新ペストリーライン完成。
・1993年:千代田工場にバラエティブレッド用中玉ロールライン増設。


1970年5月、パン業界の注目を集めて、当社の千代田冷凍工場でペストリーの製造をはじめました。その当時パン業界をのぞいた他の食品業界では、新しい食品流通システムであるコールドチェーン化が急速に進みつつありました。

ところがパン業界は、生鮮食品であり、生きものであるパンの性状から見て、大量計画生産も長距離計画配送も不可能という常識が支配していました。タカキベーカリーの技術陣は早くからこの“業界の常識”に挑戦していたのです。

課題が山積する中で、最大の難関は、“生きもの”であるパンをしかも生地の段階でいかに冷凍化するかということでした。工場の片隅から始めた試みは、10年の歳月と、技術者のたゆみない研究努力の結果、ついに冷凍パン生地の結実と、それの大量生産方式を生み出すことに成功しました。しかもこの技術革新は、単なるパンの流通機構の整備を目的としただけでなく、新鮮な焼きたてのパンを直接お客様にお届けできるルートの確立をも目指していたのです。

 

OBの方に当時のお話を伺っています<社内報SHUN_No.606 2017年8月>
工場でのシステム構築をされた権東年夫さん:
我々が目指していたのは、冷凍保存ではなく、鮮度保持の冷凍です。鮮度のよい状態で冷凍パン生地をお店にお届けし、ほんとうにおいしい焼きたてのパンを実現することでした。ただ、実際は分からないことが多く、例えば、フェリーに冷凍車を乗せたときに、エンジンを切っていたことが原因で、冷凍庫の温度が上がってパンがだめになるようなことがありました。それも、温度計を冷凍庫に入れ、データ分析をして分かったことです。失敗は数えればきりがありません。素人で分からないから、何でも実践で取り組んで失敗を繰り返し、原因を突き止めて解決していく、冷凍パンシステムは、全てやりながら構築していったという感じです。理論はあとからついてきた。そういうことを毎日、全員で知恵を出してやっていました。

広島での店舗展開をされた山根勝男さん:
FC(フランチャイズチェーン)展開の営業に転属になったのは、1973年でした。一番の記憶は、お客様の反響がとにかく大きかったことです。オープン当日、朝早くから準備してお店を開けると、前日にお渡ししたパンの宣伝効果もあって、爆発的に売れました。品切れになってしまい,一旦お店を閉めないといけないこともありました。あるときにはスーパーの社長さんが直々に来られて、うちの店に出店してほしいとお願いを受けることもありました。大きな反響の一方で課題は多くありました。冷凍パンシステムはこうあるべきという細かいものはなく、実際、「リトルマーメイド」が増えるごとに、同じくらいクレームが増えていました。温度管理の甘さから不良品が発生することも。すぐには原因が分からず、なぜかを皆で考え試行錯誤しながら、解決していくという感じでした。そういった中で、営業と店舗指導がどうしたらいいか、また、どうしたら狙いの商品が焼けるかを考え、解決法を生み出し、マニュアル作成に至ったと記憶しています。

東京でのFC展開を担当された西京雄二さん:
私が東京に行ったのは1983年。その頃、「リトルマーメイド」のFC展開はかなり進んでおり、全国で200店以上のお店がオープンしていました。しかし、売り上げ規模が大きくなった一方で、冷凍パンシステムは未完成の部分がありました。工場の冷凍パン生地の製造システムは、ほぼ完成していましたが、工場を出てからのシステムの構築がまだでした。せっかく工場でよい冷凍パン生地ができても、お店でパンが膨れないというようなことが東京でもあり、製造・販売マニュアルの精度アップをはじめ、配送マニュアルも作成され、商品・配送品質ともに改善されていきました。店舗巡回も、1店舗あたり最低月に2回は行って、2時間ぐらい話をさせていただきました。何よりも大切なことは、オーナー様と一緒になって作り上げていく経営だと思ってやっていました。

焼きたてのパンをお届けするフランチャイズチェーン「リトルマーメイド」(店舗写真は1976年会社案内より)
フランチャイズチェーン「リトルマーメイド」はパン専門店として、どの店もレイアウトからストアイメージに至るまで統一され、広島、岡山、山口、香川、愛媛の各県をはじめ首都圏でも、街角のホームベーカリーとして伸びていったのです。そして、今につながっています。


 

「きょうは何の日?」
お客様と共に歩んだ、アンデルセングループの様々なできごとを今、振り返り、繋いでいきます。